徒然なるままに



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「グリーンブック」を観て

中尾正義

作品賞以下三つの2018年度アカデミー賞を受賞したハリウッド映画「グリーンブック」を観る機会がありました。アメリカ南部における1960年代の黒人差別を背景にした映画です。社会的に評価の高い黒人ピアニストがイタリア系白人を運転手として雇い、アメリカ南部での演奏旅行に車で出かけます。旅行中に様々な差別や迫害をうけるという体験を通して、この二人が友情を育むという、実話に基づいた映画だとのことでした。

タイトルの「グリーンブック」とは、当時は毎年出版されていた旅行ガイドのタイトルで、差別対象である黒人旅行者を受け入れるホテルやレストラン等の一覧が掲載されていた本だとのことです。差別地域を旅する黒人にとっては必携のガイドだったようです。このような本が毎年出版されていたということ自体が、まさに「差別」という、ヒトの持つ厄介な感情について改めて考えさせられます。

「偏見」や「差別」について観客に様々な問いかけをする場面が随所にありました。その中でわたしの記憶に残ったのは、黒人ピアニストが白人運転手に言った「わたしを喜んで受け入れてくれるホテルに泊まりたい」という台詞です。演奏会場での大歓迎とは裏腹に、黒人であるピアニストが泊まれるホテルは、衛生状態もあまり良くないいわば便利の悪いホテルに限られていました。そこで白人の運転手が、自分の泊まる(白人用の)ホテルにこっそり泊まってはどうかと提案したときの黒人ピアニストの返事です。

この台詞を聞いて、わたしは半世紀も昔の南アフリカでの体験を思い出しました。南アフリカのケープタウンの港を1972年に船で訪れたときのことです。当時南アフリカではアパルトヘイトと呼ばれる人種隔離政策が実施されていました。公共の乗り物やホテル、レストラン、トイレなどは、白人専用の場所と黒人専用の場所とが厳しく区別されていました。

その時わたしはまだ20代半ばの若造で、現地で白人専用の場所を利用すべきなのか、黒人専用の所を利用すべきなのかえらく悩んだことを覚えています。日本人は黄色人種であり、白人でも黒人でもないからです。建前上は、「黒人専用」とは白人でない人種の人間が利用する施設や設備だとのことなので、そういう意味では、白人ではない日本人は黒人用という設備や施設を利用すべしということになります。しかし、その頃わが国は経済的に急速に成長しつつありました。そのせいなのか日本人は「めいよ白人」とのことで、白人専用の場所を利用しなさいといわれていました。

とはいえ、見ればすぐに分かる黄色い肌のわたしが、白人専用の施設や設備に行く気はしません。歓迎されないことは容易に想像できます。とはいえ、黒人専用の施設や設備に行く気もしません。そこでも歓迎されないことが容易に想像できるからです。まさに、黒人ピアニストよろしく「わたしを喜んで受け入れてくれる施設に行きたい」と思ったものです。わたしを喜んで受け入れてくれる施設とは、白人専用の施設でもなく、黒人専用のものでもなさそうだと感じていました。鳥としても獣としても認められないコウモリの心境です。

結局、街に見学に出かける前には、港に係留されている自分達が乗ってきた船であらかじめ食事を摂り、トイレを済ませ、街中ではレストランやトイレなどを利用しないでも済むようにしてから街に出かけたものです。つまり黒人専用/白人専用の選択をしなくても良いという解決策をとったものでした。

アメリカ・大リーグのシアトルマリナーズに在籍していた45歳のイチロー選手が先日、2019年3月21日に現役引退の記者会見を行いました。わたしが言うまでもなく、イチローさんは野球選手として様々な記録を打ち立てるとともに、多くの至言を残されています。引退会見でわたしの心に残ったのはイチローさんの以下の言葉です。「アメリカでは僕は外国人であり、外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、人の痛みを想像したりすることができるようになりました」という主旨の発言でした。

イチローさんが「外国人になった」と表現したのは、彼が「差別」を受けたと感じた時の感覚ではなかったのかと感じました。

「野球」はアメリカ発祥のスポーツです。その由緒あるスポーツを、敗戦国の国民である日本人がまねるだけならまだしも、アメリカ人と肩を並べるどころか数々の記録を塗り替えるなど「おこがましい」という差別意識が生まれてもおかしくないでしょう。イチローさんが活躍の幅を広げるにつれて、様々な局面で「差別」を感じたに違いないと想像します。差別されることを経験すると、ヒトは「他人の痛みを感じやすくなり、そのことへ気配りをするようになる」気がします。

もちろん、メジャーリーグでは移民を含む多くの外国人選手が活躍しています。建前上はあくまで実力次第の世界です。多くの野球ファンも肌の色やアメリカ人かどうかなどで差別しているとは思ってもいないでしょう。しかし自分でも気づかないうちに、心の底に何らかの差別意識が生まれている可能性は否定できないような気がします。

わたしと妻とは1970年代の終り頃カナダの首都であるオタワ市に3年間ほど住んでいたことがあります。カナダ国立の研究所に当時わたしは職を得ていたからです。世界の国々の中でもカナダはとてもクリーンなイメージのある先進国です。当時もそうでした。そういう国でさえ、わたし自身も妻も、日常の生活の中で差別されていることを実感した経験が幾度もありました。わたしたちはこの地では「一段下に見られるよそ者」なんだと痛感したものです。ひとつには、わたしたちが典型的なカナダ人ではない黄色人種だったということもあったかもしれません。

しかし、いわゆるカナダ人同士の間でも「差別」意識があることが次第に分かってきました。カナダ人の中で差別の対象となったのは、主としてケベック州に住んでいたフランス系カナダ人達でした。彼らはいわゆる白人ですが、アメリカ合衆国内で差別されている黒人みたいな存在だということで、ホワイトニグロ(白い黒人)とも呼ばれていました。彼らを差別するときの「カエル野郎!」という蔑称は今でも耳に残っています。

私たちがカナダに滞在していた頃には、既に英語とフランス語の二つの言語がともに公用語として認められていました。加えて、カナダ政府は両言語の習得を国民に強く推奨していました。さらに我々の滞在期間中に、国家公務員の管理職に就くためには「二つの言語の双方に精通していること」という条件が新たに付されるようになりました。その後も、差別の解消を目指す努力が国をあげて続けられているようです。

わたしたちがカナダ生まれの息子を連れて日本に帰国してから既に40年近くが過ぎました。今でも時折カナダからの手紙が届きます。たとえその手紙が、ラブレターどころか、確定申告を催促する税務署からの事務的なものであっても、当然のこととして英仏二つの言語が併記されている手紙を開封しては、「差別」というヒトの心に棲むモンスターとのつきあいも含めて、オタワでの暮しを懐かしく思い出しながら目を通すのです。

(2019年4月)

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