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人間文化研究機構 地域研究推進センター長 中尾正義
40年ほど前、わたしは初めてインドの地を踏んだ。カルカッタ空港から市内のホテルまでのリムジンバスの車窓から見た光景は忘れることができない。わずかに襤褸雑巾のようなものを腰のあたりにまとってバスを指さしながら追いかけきたほぼ全裸の子供たちの群。似たような姿で道路の脇にしゃがみ込み、瞑想というのだろうか、何をするでもなく、ぼーっとただ地面を眺めている老人たち。
我が国の大学新卒者の月給が2万円にも満たない当時、羽田からカルカッタまでの往復の安売り航空券が14万円もしていた。飛行機でカルカッタに乗り付けた欧米人を中心とするリムジンバスの乗客と窓の外の光景との乖離は、わたしにとって、まさにカルチャーショック以外の何物でもなかった。窓の外の世界はわれわれとは全く関係がなく、映画館のスクリーンを見る思いだった。
20年ほど前、ある研究所を訪問するためにデリーを訪れた。時差のためか朝早く目が覚めたのでホテルの周囲を散歩することにした。「日本から来られたのですか?」と品のいい初老の紳士が声をかけてきた。インドで教育に携わっているとのことで、日本の小学校教育は何年間か、英語教育はいつ頃始めるのかなど、我が国の教育システムについて様々な質問をしてきた。歩きながら30分間ほども話をしただろうか。わたしのホテルの玄関の近くに戻ってきたので別れを告げようとした時、彼はこういった。「私には娘が二人いるが、ふたりとも2〜3日間まったく食べ物を食べていない。彼女たちに食べ物を買う金を恵んでくれないだろうか」
数年前に国際学会に出席するためにバンガロールに立ち寄った。バンガロールはインドにおける科学研究、近代工業の中心地として、航空機や機械、電機、精密機械などの諸工業が立地している中核都市である。最近の近代化の象徴都市としてインドの隆盛を支えている。インドで開催される国際学会の回数もうなぎ上りである。
「♪カンチー レー カンチー レー プリート メーリー サンチー♪♪・・・」ハリウッドをはるかに超える数のインド映画。なかでも、多数の美男や美女がでてくるミュージカル映画はわたしのお気に入りでもある。
イスラーム地域および現代中国地域に続いて、現代インド地域研究が開始される運びとなったことは大変喜ばしい。地域研究では、対象とする地域の自然や社会、構成民族や習慣、宗教など実に多種多様の情報がすべて必要である。日ごろの食事や家族の成り立ちなどまさに人の生活に根ざした知識も必要となる。個々の学問領域にとらわれず、地域に根ざした、トータルな、有機的な理解が進むことを期待したい。地球的な広がりの中で、いったいインド世界って何なのだろうか。
(「現代インド地域研究」パンフレット 2011年版 より)