東日本大震災から2年半が経過しました。未だに多くの方々が仮設住宅での仮住まいを余儀なくされています。福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」も施設の一部が震災で壊されました。しかし翌年には全館で営業を再開。フラガールのみなさんは全国をめぐり、「フラガール全国きずなキャラバン」や小学生を対象とする「出前授業」を行うなど、復興へむけて笑顔と元気を届けてこられました。
本稿を執筆している2013年8月の新聞記事に、「スパリゾートハワイアンズで新人フラガール7人がデビュー」とあります。彼女たちは「今年4月、フラガールを養成する常磐音楽舞踊学院に49期生として入学。4か月間フラダンスなどの猛練習を重ね、少しでも復興の力になるようにたくさんの人に笑顔を届けたい」とのことです。
今から43年前、1970年にも7人の新人が常磐音楽舞踊学院を訪れ、フラダンスの猛特訓を受けました。わたしを含む「彼女たち」が12次隊フラガールです。
学院でまずお目にかかったのは、責任者だというしゃきっとした女性でした。背筋をぴんと伸ばして正座しておられたのを覚えています。当時わたしは大学院の学生で、宝塚のトップスターであった真帆しぶきさんのファンでもありました。真帆しぶきさんみたいな人だと思ったものです。彼女が、当時の常磐ハワイアンセンターおよび現在のスパリゾートハワイアンズで、フラガールを育ててこられた同学院の最高顧問・早川和子さんだったと後になって知りました。2006年に公開された映画「フラガール」の主役として松雪泰子さんが演じた平山まどかのモデルとなった方です。
彼女に、われわれはまもなく南極に出発する観測隊員であり、ハワイアンダンスを超特急で教えていただきたいというお願いをしました。知人を介してあらかじめ依頼してあったこともあり、快く引き受けてくださいました。
彼女は、「ハワイアンダンスの腕の動き、指の動きなどにはすべて意味があり、手話のような表現力を持っている」という基本的なお話をしてくださいました。また、ここではハワイアンだけではなくタヒチアンダンスも行っており、「タヒチアンの方がテンポも速く勇壮なので、皆さん(観測隊員)がやるにはそちらも混ぜた方がよいでしょう」というアドバイスもくださいました。「実際のダンスの指導は若い人の方が良いでしょう!」ということで、若いフラガールのお一人を指導役としてつけてくださいました。指導役として現れたのが豊田恵美子さん(旧姓)でした。映画「フラガール」で蒼井優さんが演じた谷川紀美子のモデルとなった方です。
12次隊フラガールにとって、それからの一日半は地獄でした。なにせ踊りといえば盆踊りくらいしか経験のない「彼女たち」でしたから。唯一の救いは、指導してくださる恵美子先生に見とれることができた事くらいだったでしょう。ともかく、比較的覚えやすい曲目として恵美子先生が選定してくださった「月の夜は」「ワンパドゥ・トゥーパドゥ」「ビニビニ」などの曲をなんとか踊れるようになったのです。
12次隊フラガールのデビューは特訓2日目の夜のことでした。お客がぎっしりと入った常磐ハワイアンセンターのメインステージです。練習の成果を実際に試した方がよいという恵美子先生の特別のはからいでした。とはいえ、わずか一日半の即席の練習です。しかも観客は、お金を払って入場してきているお客さん達です。極度に緊張していたことは間違いありません。もっとも、本来のフラガールとして踊ったのではありません。彼女たちに混じって、「お客さんの中で踊りたい人はステージへどうぞ!」という誘いに乗ってステージに上がる素人集団という設定ではありました。
12次隊フラガールが結成されたのには訳がありました。「ふじ」の赤道通過時に開かれる赤道祭でなんとしても優勝を勝ち取れ!という村越副隊長の至上命令を帯びてのことでした。
晴海出航から9日目、その時がきました。常磐ハワイアンセンターからいただいた豪華な衣装を身にまとった「彼女たち」が「ビニビニ」の音楽に合わせて「ふじ」甲板のステージに登場します。割れんばかりの拍手と歓声。船上でも練習を繰り返していましたが、観測隊の出し物は秘中の秘として漏らさないようにしていたからでしょう。踊りはともかく、出し物が審査員や乗組員の思いもよらぬものであったことと、絢爛たる衣装のおかげで、期待に応えることができたのでした。
恵美子先生とはその後再会を果たし、改めてお礼をいうことができました。しかし東日本大震災が起きたのはさらに後のことです。早川和子先生も豊田恵美子先生も、震災後も相変わらずスパリゾートハワイアンズで頑張っておられるとのこと。先生方の弟子である12次隊フラガール一同、夢と笑顔と元気を届けるみなさまの今後ますますのご活躍と一日も早い復興とを心より念じています。
写真説明 「ふじ」甲板ステージで踊る12次隊フラガール (提供:清水護雄隊員、撮影:寺井啓隊員)
( 南極OB会会報(2013) 20 より)