OVERVIEW
 
 


■研究プロジェクトの概要:

 現代の景観の歴史的背景を復元・理解しつつ、文化的景観と文化多様性の保護の指針づくりに向けて活動しています。東アジア内海(日本海と東シナ海)の沿岸を対象に、人間・自然関係の中でも大きな変革が起こった新石器化と現代化の時期に注目します。沿岸諸地域の景観がどのように形成され、どのような方向に向かおうとしているのか、人間文化の側面に焦点をあてながら解明します。

プロジェクトリーダー : 内山純蔵
サブプロジェクトリーダー : Lindstrom, Kati タルトゥ大学記号論学部


■研究の目的


 「景観」とはなんでしょうか。それは、ただ目に見える風景のことではなく、その風景を生み出した文化や価値観をも含み込んだ大きな動きと考えられるようになってきています。たとえば、人はその価値観や世界観に沿って周囲の環境を作り替え、ある風景を作り出しますが、その風景は、次の世代に影響を与え、新たな文化やアイデンティティ、世界観からなる「心の風景」を生み出します。そしてそれは、次の新しい環境開発につながります。「景観」は、目に見える風景と心の風景、そしてこれらの相互作用全体を意味する言葉であり、地域を越え、時代を超えて変化し、人間の営みと文化を表現し続けるダイナミックな現象なのです。あらゆる環境問題は、日常の生活から生まれますが、「景観」は、日常そのものの舞台であり、日々生まれ、変化していくものです。環境問題がなぜ生じるのか、その鍵が、景観の動きのなかにこめられています。



図1 景観の概念


 近年、「文化的景観」の概念とその保護は、国際的な文化多様性の危機に対処する上で重要になっています。たしかに、グローバリゼーションが進む中、世界のあらゆる場所で、伝統文化に培われた独自の景観が失われつつあります。しかし、一方で、社会や文化との結びつきが失われているにもかかわらず、特定の景観を伝統的で持続的なものとして理想化し、莫大な資金と努力を投入してまで復元・維持しようとする例も増えています。私たちはまさに、景観の危機といえる問題に直面しているのです。この危機を乗り越えるために、景観がどのように変化し、形成され、価値を与えられるものなのか、その文化的な過程とメカニズムを理解することが必要になっています。
 本プロジェクトでは、日本海と東シナ海を、歴史を通じて豊かな文化多様性を育んできた東アジア内海としてとらえ、この海を取り巻く沿岸のさまざまな景観が、氷河期が終了した1万数千年前以後、新石器化と現代化という大きな変化の時代を経て、現在の姿に至ったと考えています。人びとが景観を大きく変えるとき、いったい何が起きるのでしょうか。私たちは、東アジア内海を舞台に、景観の本質を理解し、景観の危機の解決に向けての提言を行うことを目的としています。



図2 東アジア内海と8つの調査地


■主要な成果  

 プロジェクトでは、東アジア内海の景観史上重要な8つの地域ごとにワークグループを作って現地調査を進めています。各地での調査は、現在までの議論を通して浮かび上がってきた、東アジア内海全体の景観形成において注目すべき4つの共通テーマ(農耕の拡大・導入、水辺をめぐる景観変遷、移民と植民地化による景観変化、景観の精神的イメージの移植と創造)の地域性に即して実施しています。その中で、現在、プロジェクト全体として重点的に取り組むべき3つの課題として、(1)新石器化から見た現代化、(2)内海が果たしてきた文化的機能、(3)景観の精神的イメージの創造、があり、それぞれ成果をあげつつあります。その代表例を紹介しましょう。

(1) 長期的な歴史の中で、現代の景観変化はどのように考えられるのか。FR1と2では、このテーマについて、さまざまなシンポジウムや学会などの機会で集中的な討論を行いました。従来、新石器化については、大規模な集落や農耕社会の出現などで、比較的短期間に「新石器革命」として現代の基本となる景観要素が誕生したと考えられていました。しかし、それ以前の狩猟採集社会においてもすでに環境開発の大規模化や栽培・家畜化がみられるなど、一連の変化が始まっており、新石器化はむしろ氷河期が終了した後に出現した新たな環境に人間が適応する過程として考える必要があります。長期的には、氷河期以後、景観は大きな変動の過程にあり、「現代化」もその最終段階、いわば「新石器化」のクライマックスとして考える必要があります。




写真1 岐阜県・白川郷合掌造り集落
山村生産物の交易活動により形作られた景観は、いまや
伝統的農村景観として、観光の対象となっています。


(2) 海は、移民や交易を通じて、新たな景観を持ち込み、それが良きにつけ悪しきにつけ在地の景観に大きな影響を与えます。例えば、近代の北海道では、海から渡ってきた近代的な都市景観のインパクトが、新たな聖地の誕生など、アイヌ社会の景観に多大な変化をもたらしました。また、海は互いを隔て、その土地独自の景観形成を促す役割を果たす一方、逆に陸続きの隣り合った社会の場合、景観形成において継続的な影響が相互に及びます。ロシア沿海地方では、遠方から到来したヨーロッパ社会の影響と同時に、隣り合った朝鮮半島からの移住によりもたらされたさまざまな要素が、集落の形などに大きなインパクトを与えました。




写真2 ロシア沿海州・ボイスマン貝塚(5千年前)での調査
新石器化によってあらわれた定住という生活様式は、
現在の景観の基礎となっています。


(3) 奈良時代以来、仏教の影響を受け何度も出された殺生禁断令は、近世までの肉食タブーなど、現代に至るまで日本列島の自然利用に大きな精神的影響を与えています。しかし、そうしたタブーは、自然環境全体にわたるものではありませんでした。中世では、原則として寺院の周辺2里(1.3キロメートル)が殺生禁断とされましたが、寺院からの視界によって異なる運用が行われました。例えば河川だけが見渡せる場合には漁撈が、そして視界が開けている場合には周辺2里の原則を越えて、遠方での狩猟や漁撈までが規制されていました。このような違いは、今もその土地の自然利用に影響を及ぼしています。
 以上のような成果は、景観の保護のあり方を考えるとき、その土地の歴史的背景の理解が不可欠であることを私たちに教えてくれます。


■今後の展望

 私たちは、研究成果の北海・バルト海地域との比較に向けて、エストニア、ベルギー、オランダ、英国、ドイツなどヨーロッパの研究者との協力関係を築いています。とくに、ロシア極東国立総合大学と英国イーストアングリア大学との間に研究協力の関係を結びつつ、活動を行っています。メンバーは原則として複数のワークグループに所属し、さらに各地域で歴史的地誌情報と自然地理・考古学情報のGISデータベースを作成するなど、研究成果の統合に向けて、地域間/時代間の情報の交換と比較を行っています。研究所内では、定期的に調査活動と景観研究に関する理解を深めるための公開セミナーを開催しています。今後は、このような活動を継続しながら、研究成果を、学会やシンポジウムばかりでなく、出版や小学校の環境教育への参加などを通じて、広く一般社会に訴えていきます。