上川盆地調査(2005.7.11-19)

 上川盆地に位置する旭川市域は、明治30年代以降急速に都市形成が進み、陸軍第七師団の軍都となることによって北海道第二の都市として成長した。その一方で、旭川市成立以前、同地域は上川アイヌの人々が数多く暮らす地であった。また、その歴史は、擦文時代中期(AD.9c)にまで遡りうることが確認されている。
 本調査では、近代都市「旭川」の形成によって同地域に暮らしていた上川アイヌの人々の社会の変化を明らかにすることを目的として、考古資料と文献史料及び聞き取り調査を実施した。とくに、本調査では、明治以降の政策と都市の形成によって、生計活動を中心とするアイヌの人々のライフスタイルの変化を追究した。今後も調査を継続し、地域に根ざした近代以降のアイヌの人々の歴史を掘り起こして行きたいと考えている。


明治期以降もアイヌの人々の聖地とされた近文山
ここは明治〜昭和までアイヌの人々が「送り場」として利用した


陸上自衛隊旭川駐屯地(旧陸分第七師団)敷地内にある湧水地
湧水はサケ・マスの産卵床となるためアイヌの人々の生活にとって重要な意味を持っていた。


上川盆地におけるアイヌの人々の「コタン」(集落)の分布
旭川の都市化によって同地域のアイヌの人々は近文の給与地に集住させられた。