しゃりばり,2004.1,Vol263,(社)北海道総合研究調査会


ア ム ー ル 川 と 北 海 道


北海道大学 低温科学研究所
白岩 孝行

国境を越えて隣国に他国に影響を与えるのは経済活動ばかりではない。環境問題もまたスケール大きく、かつ深刻な状態をもたらす。かつて小誌に「カムチャッカに見る北海道の原風景」(216号) 「北東ユーラシアと氷河」(217号) 「氷河と海面変動」(218号) で登場した筆者による最新の研究動向の報告。


大陸からの歓迎すべからぬ贈り物

 2002年の5月、米国アラスカ州とカナダの国境に位置するカナダの最高峰ローガン山(5959m)に氷河の調査のため出かける機会がありました。ローガン山は、中緯度ではめずらしく、人間の生活圏から離れているため、南極とほぼ同じ清浄さを保つ地域です。
 このため、北半球で生じている人為起源の汚染物質の濃度変化をモニターするにはうってつけの地域で、我々の調査も、氷河から氷の試料を掘削し、その分析から人間活動が大気に及ぼす影響を、過去に遡って調べるというものでした。
 全てが真っ白な世界ですが、ひとつ我々の目をひいたものがありました。それは、氷河のクレバスと呼ばれる割れ目に見えた、黄色い汚れた層でした。持ち帰って分析したところ、アジア大陸から飛んできた風送塵、いわゆる黄砂であることがわかりました。
 思い返せば、同年の4月、札幌の街はセピア色でした。まるで火山噴火で積もる火山灰のように、車のボンネットにはうっすらと白い砂がつもりました。これは全て中国の乾燥地域から飛んできたもので、新聞でも取り上げられましたので、皆さん良くご存じと思います。この年の黄砂は、北海道ばかりでなく、太平洋上空を飛び越えて、北米の大地まで黄色くしたようでした。
 さて、2003年。この春も、やはり昼間から赤い太陽が印象的でした。またまた、黄砂か?と思いきや、昨年の中国大陸は湿っていたようで、黄砂の飛来は少なく、赤い太陽の原因は、シベリアの森林火災によって放出された煤だったようです。シベリアでは毎年北海道と同じ面積の森林が燃えているらしく、今年は風向きの関係もあり、北海道に影響が及んだようでした。 こう毎年毎年、大陸から歓迎すべからぬ贈り物をいただくと、大陸とのつながりを嫌でも意識させられます。また、彼の地の環境変化が気になってきます。

オホーツク海の生態系変化とアムール川

 そんな中、追い打ちをかけるようで申し訳ないのですが、我々が気になっていることがもうひとつあります。それはオホーツク海の生態系の問題です。サハリン沖の海底油田開発の問題はしばしば取り上げられていますが、それとは別のメカニズムで、オホーツク海の生態系変化が起こる可能性があるのです。
 海洋の生態系を維持するひとつの重要な要因として、隣接する陸地の環境が重要であることが、北海道大学におられた松永勝彦教授によって指摘されて久しくなります。松永教授によると、森林や湿地で生産されるフルボ酸と結びついた鉄が、河川を通じて海に運ばれ、植物に必須な元素である鉄があることによって、はじめて効率良く植物プランクトンが生産されるそうです。植物プランクトンは、海洋の生態系の中では、ピラミッドの底辺に位置する生き物ですから、その生産量は上位に位置する動物プランクトン、これを食する小魚、そして大型魚にまで影響を与える可能性があります。
 このような理由で、陸地から供給される鉄は海の生物生産にとって重要な要素となっています。事実、大きな河川が流入せず、陸地からも遠い北部北太平洋では、鉄の欠乏により植物プランクトンの生産量が抑制されていることが、最近行われた実際に海に鉄を散布して植物プランクトンの増減をみる実験で確かめられています。
 オホーツク海は、鉄が不足しておらず、それどころか海流を通じて北太平洋に鉄を送り出している可能性さえあると我々は考えています。この鉄がどこから来るか?我々はアムール川が運んでくるとみています。アムール川は、流域面積が日本の6倍弱、全長4350kmという途方もない大河川です。モンゴル高原に源を発し、ロシアと中国国境の大森林帯を流下してオホーツク海にそそぐ国際河川です。オホーツク海に運ばれる鉄は、アムール川が通過する大森林や湿地帯で生産され、それがオホーツク海に運ばれ、植物プランクトンを育んでいるのです。

北太平洋の生物生産と北海道の関係を研究

 アムール川流域の陸面状態は、世界の大河川の中では比較的自然状態に近いのですが、それでも人間活動とは無縁ではありません。下流域にはソ連時代に軍産複合体の拠点として発展したコムソモルスク・ナ・アムーレの街や、ハバロフスクなどの都市が発達します。
 そして、アムール川下流域の森林帯は、シベリアの森林の中でも、最も火災発生の激しい地域で、毎年多くの面積が焼失していることは前述したとおりです。森林資源についても、バブル期までの日本への輸出、最近では中国への輸出の急増で、急速な森林資源の悪化が危惧されています。
 一方、中国側に目を転ずれば、ロシアとは対照的に、森林・湿地から耕地・水田への転換が20世紀後半に急速に進みました。このような人為的要因によって、アムール川流域の陸面状態は急速に変化しています。
 この陸面状況の変化、よりはっきり言えば、森林伐採、森林火災、耕地化、水田化、工業化などの人為的営みが、陸地から海へ輸送される栄養塩、とりわけ鉄の量を変化させ、それが海の生態系に影響を与えてきた、そしてこれから影響を与える可能性が高い、と我々は見ています(図を参照)。
 このような問題意識を元に、私の所属する北海道大学低温科学研究所(http://www.lowtem.hokudai.ac.jp/)は、文部科学省の総合地球環境学研究所(京都: http://www.chikyu.ac.jp/)と連携して、アムール川の流域環境の変化とオホーツク海・北太平洋の生態系変化とのつながりを探るプロジェクトを立ち上げました。
「北東アジアの人間活動が北太平洋の生物生産に与える影響評価」と題するこのプロジェクトは、2005年度から5年間にわたって進められ、以下の4つの課題の解明を目指しています。

 1.  アムール川から海洋にもたらされる鉄などの陸起源物質の量と、その空間的広がり、生物生産力との関係
 2.  アムール川流域の自然及び人為的に改変された陸面の状態と、そこから河川に負荷される物質の量と種類
 3.  ロシア極東域、中国東北部における過去・現在・未来の政治経済の変遷と、それがもたらす陸面状態の変化
 4.  これらの課題の理解の前提となる当地域・海域の水・物質循環の長期的変動の実態。

 これらの課題を解明することにより、陸面〜河川〜海洋の物質循環を一つの系として考え、我々北海道に身近なアムール川とオホーツク海を舞台に、海洋生態系の変化を未然に予測し、予防するための指針作りをしたいと考えています。
 特に強調すべきは、このプロジェクトの遂行にあたっては、自然科学的な視点はもちろんのこと、更に「地球環境問題の根源は、自然に挑み、支配しようとしてきた人間の生き方、すなわち文化の問題である(日高敏隆 総合地球環境学研究所長)」という認識を合い言葉にしている点です。
 二つの性格の異なる研究所の連携によって、陸と海との間での人や生物の健全な関係の構築を目指していきたいと考えています。