しゃりばり (2000) No.216, 139-142. (社) 北海道開発問題研究調査会
カムチャツカにみる北海道の原景観
北海道大学低温科学研究所 白岩孝行
二万年前の北海道
「ちょっと前のことですが・・」と学者が言った場合、その指す時間は学問分野によってずいぶん異なる。地質学では恐竜が闊歩していた六千五百万年前くらい前までかもしれないし、考古学では縄文文化が花開いた六千五百年前かもしれない。歴史学ではさしづめ六百五十年前の足利尊氏の時代であろう。物理学に至っては、百億年前のビックバンからトップクォークの崩壊する十のマイナス二十五乗秒という想像を絶する時間さえ考えうる。従って、過去の話をする場合、お互いの素性を知った上でなければ、往々にしてかみ合わないことがある。
本題で扱う時間をここで示しておこう。それは氷期と呼ばれる二万年前の時代である。ずいぶん昔のことと思われるかもしれないが、イエス・キリストが生まれてから今日までの時間をちょうど十倍した時間に過ぎない。問題の二万年前は、約十一万年前に始まった氷期がまさに終わらんとする、氷期の最寒冷期であった。
二万年前がどうして北海道にとって重要なのであろうか。それは、現在目にする北海道をして北海道たらしめている景観、たとえば広大な大地、ゆるやかな山麓、そして日高山脈に輝くカール地形の大部分がこの二万年を中心とする氷期に形づくられたからである。もちろん更に昔に作られた地形もあるし、最近の一万年間の温暖期に作られた地形もある。しかし、「北海道らしさ」を与えてくれたのは、二万年前の氷期の寒冷気候であった。
氷期・間氷期の繰り返しは、地球と太陽との距離と角度が周期的に変化することによって生じる。氷期には、間氷期に比べ地球が太陽から受ける熱量が減少し、寒冷化する。どのくらい寒かったのだろうか?種々の証拠から、北海道では年平均気温で約八℃程度低かったと考えられている。今より八℃寒い北海道はどんな環境だろう?北海道の原景観を形づくった力は何だろう?悲しいかな過去を扱うサイエンスは、実験的な検証が苦手である。往々にして、その研究手法は数々の状況証拠を集めて結論を帰納せざるを得ない。タイムマシンがあれば即座に解決できるが、それも叶わない。時間を超越できない我々に残された道は、空間を移動することであった。「北海道を北にずらせば良い!」。もちろんそんなことは不可能であるが、北にずらした位置に幸いカムチャツカ半島があった。
開かれたカムチャツカ半島
カムチャツカ半島と北海道の距離は、北海道と九州より近い。しかし、この半島は1991年のソ連邦崩壊まで、鉄のカーテンの向こう側であった。半島の開放と同時に、さまざまな分野の人々が禁断の地へと入り込んでいった。かくいう私は、これらの人々をうらやみつつも、南極観測事業に関わっていたため、ようやく憧れの地に到達できたのは1995年の秋であった。
重苦しい雰囲気の漂うハバロフスクからオホーツク海上を飛ぶこと3時間。雲海につつまれる半島からは、そこかしこに円錐形の端正な火山が顔をのぞかせる。州都ペトロパブロフスク・カムチャツキーは、これらの火山の中でもひときわ目立つコリヤークスキー山、アバチンスキー山、コゼルスキー山の三山の南に広がる港湾都市である。この町の南側にある山地には、日高山脈の山頂に輝くカール地形が、それこそ札幌の円山程度の山々に発達している。海に面する山地は、氷河に削れらたフィヨルド地形をみせており、いやがおうにも北へ来たことを実感させる。
カムチャツカ半島は長大な半島である。付け根のコリヤーク自治管区も含むと、四十七万平方キロメートルと我が国よりはるかに大きい。南端のロパトカ岬から北部に広がるコリヤーク自治管区にかけ、四十五万人の人々が暮らしているが、そのうち二十五万人は州都にいるので、その他の地域の人口密度は推して知るべしだろう。州都以外に居住する人々は主として漁業、林業、遊牧、鉱業などに従事する人々である。
まず我々が希望したのは、カムチャツカ半島を空から見て地形の概念を掴むことであった。細かい仕事は後からついてくればいい。まずは概略を知ることが大切と考えた。共同研究者であるロシア科学アカデミー火山学研究所のヤロスラブ・ムラビエフ氏と共に、大型ヘリコプター「ミィ8」に搭乗し、秋の晴天を利用し、半島中央部を6時間かけて空中から撮影した。
カムチャツカ半島に北海道の原景観を見る
国外に旅行するとその国特有の「匂い」がある。「臭い」と書かないのは、別にくさいからではなく、「匂い」は嗅覚だけでなく視覚もたぶんに影響する感覚だからだ。北極・南極に行けば無臭の匂いが、鼻にツーンと来る寒気と共に体感できるし、ネパールのカトマンドゥでは香辛料の混ざった匂いと人々の雑踏から発せられる活気がなんともいえない懐かしさを醸し出す。ペトロパブロフスク・カムチャツキー市とて同様、一端市内に入るとロシア特有のなんとも言えない複雑な匂いが、無味乾燥な立方体のアパート群とともに押し寄せてくる。しかし、州都を一歩出たとたん、この不思議な匂いは消滅し、何とも安心感のある匂いを感じる。このことは漠然と感じていたが、特にどうしてかという考えもなかった。その理由が判ったのは、1997年の訪問時に同行した学生の一言であった。「なんか、日本とおんなじですねぇ。富良野にいるみたい」。あっ、そうか。この妙に心地よい匂いは、北海道の山々で感じる匂いなのだ。そう分かった途端、なんともうれしい気持ちがこみ上げてきた。やっぱり、北海道の原風景に違いないと。
ペトロパブロフスクを飛び立ったヘリコプターは一路北へ向かう。羊蹄山を三倍くらいにしたコリヤークスキー山の西側を回り込むと大雪山そっくりの山が現れた。ただし、標高は千mに満たない。札幌近郊の手稲山と同程度の山々に、標高二千メートル近い大雪山の山頂付近と同様の景観が広がっているのだ。上空からでは個々の植物は見えないが、その分布パターンからみて、ハイマツや高山植物のお花畑が広がっているに違いない。植物のない裸地には、直径が10m程の多角形模様が発達する。これは地面の凍結でできた収縮割れ目に、水がしみこんで凍ったツンドラ・ポリゴンという地形である。北海道の道東地方には、氷期にできたこの地形の化石が見つかっている。転じて目を低地に移すと、カムチャツカ半島随一の大河、カムチャツカ川がくねくねと蛇行する河道を描き、カラマツ・エゾマツからなるのタイガの中を北流する。ところどころ、山火事によって森林が消失した跡地が痛ましい。二万年前の十勝川と十勝平野はきっとこんな景観だったに違いないと一人でほくそ笑む。
飛び立って二時間、ヘリコプターはぐんぐんと高度を上げた。腕時計についた高度計は四千メートルを超え、「FULL」と表示された。いよいよカムチャツカ半島の最高峰クリチェフスキー火山(標高4750m)に近づいたのだ。加圧していないヘリコプターの内部は、酸素不足となり、頭がクラクラする。眼下にはモクモクと煙を上げるクリチェフスキー火山の噴火口が見える。高度は既に五千メートル。クリチェフスキー火山をとりまく四千メートル級の火山群は、山頂をべっとりと氷河に覆われ目にまぶしい。「氷河!」これこそ、我々が日本からカムチャツカに求めてきたものだ。二万年前の北海道には日高山脈、そしておそらくは大雪山にも白銀に輝く氷河が存在したはずである。今、我々はようやくその景観を目にすることができたのだ。
北海道とカムチャツカをつなぐもの
自然はシームレスである。人間の決めた国境は必ずしも自然の境界とは一致しない。梅雨は日本を特徴づける気象現象だが、幸いにして(?)北海道に梅雨前線がかかることは多くない。また、エルニーニョの動向に多大な影響を受ける東日本とは異なり、北海道の冬の気温は北極をはさんで反対側に位置する大西洋域と密接な関係があるという報告さえある。とすると、北海道と東日本との間に横たわる自然の障壁に比べ、カムチャツカとの間にはさしたる境界がないことになる。従って、氷期の北海道の原景観をカムチャツカ半島に求めることも許されるのではないか。
我々は1995年の予察調査に引き続き、1996年、1997年、1998年にわたり、主としてカムチャツカの氷河に関する学術調査を実施した。その結果、北海道の氷期をカムチャツカに求めることの妥当性を確認した。また、カムチャツカが北海道のモデルとならない点もわかってきた。それは一言でいえば、カムチャツカは日本と異なり、太平洋側で多雪であり、オホーツク海側で少雪なのだ。これは日本海側に多量の降雪がある日本と大きく異なる点である。その原因は、オホーツク海が冬期に結氷してしまうため、日本海のようにシベリアから吹き込む西風に多量の水蒸気を供給しないからである。また、北海道で得られた種々の氷期に関する情報によれば、北海道の氷期は、現在のカムチャツカ中央部の気候に比べ、更に気温が低く、より降水量の少ない環境であったらしい。従って、本当の氷期の原景観は、カムチャツカ半島を更に北上し、半島の付け根付近まで行かないと見ることができないことがわかってきた。我々は是非この地方を尋ねたいと願っているが、まだ叶わずにいる。
世間は「就職氷河期」と騒ぎ、学生たちは就職活動に必死である。わたし自信、氷期・氷河期という言葉をネガティブな意味に使用することには抵抗がある。北海道の原景観を作ったのは氷期の寒冷気候であり、モンゴロイドはその氷期にアジアから南米へと拡散し、素晴らしい適応を果たしていった。寒さは本当に悪なのか?我々はもっと広い空間・時間的な視点で物を捉える必要があるのではないだろうか。
おわり