案外チャンスは早くにやってきた。「今度、パタゴニアの涵養域で氷コア掘削を 計画しているんだけど、行ってみないか?これまでほとんどデータがないから、年 間の質量収支をコアから調べる必要があるんだ。」と上司の成瀬さん。『はい。行 きます』。無知とは恐ろしい。『パタゴニア』という言葉に惑わされ、今までなぜ 涵養域の研究が少ないか、そして掘削がほとんど行われていないのはなぜか、北氷 原で掘削した山田知充さん(低温研)や松岡健一君(低温研)が散々苦労した事実 も忘れ、気楽に引き受けてしまった。
ドリルの準備ができたら梱包が始まる。メンバーの一人、久保田敬二(北大・ 地球環境科学研・修士1年)に手伝ってもらい、ドリルシステムの梱包、コア解析 機材の梱包と仕事は尽きない。GRPP(パタゴニア研究グループの総称)では伝統 的に観測機材をアナカン(航空機による別送品)で送らず手持ちで搬入する。測量 や気象観測を中心としたチームならそれでも良いが、今回の我々4人の荷物は300 kg。まともに持ち込むと、莫大な超過料金を取られる可能性がある。旅行代理店を 通じ、超過料金を支払わなくてよいよう、交渉する。使用するアメリカン航空は、 荷物を重量でなく個数で制限する。従って、梱包にも頭を使う。いかに個数を減ら すか?ほとほと困りはてて、リーダーの幸島司郎さん(東京工業大学)に電話する と、もう一人のメンバーである竹内望君(東京工業大学)を加え壮行会の最中であ った。『もしかして、お酒のんでます?』。思わず言葉がきつくなり、久保田と2 人で自分たちとの境遇の違いに愕然とする。
リベラ氏の紹介で立ち寄ったレストランでチリ名物パリージャ(焼き肉の大皿盛) を4人分注文。出てきたステーキの山盛りに愕然とする。旨いと思いつつも、時差ボ ケの4人には結局半分も食べられず、悔しい思いで店を出る。夜はチリの全権大使・ 成田右文さんのご招待により大使公邸に出向く。成田さんは京都大学山岳部の御出 身で、我々の代表である安仁屋政武さん(筑波大学)の友人でもあられる。何度も 海外調査を経験したが、日本大使に招かれた経験はなく、これが最初で最後と思い、 大使公邸の玄関前にある「菊の御紋」を背景に記念撮影をした。
計画が決まれば、あとは準備を進めるだけ。食料の買いだし、日用雑貨の買いだし
等やることは山ほどある。チリの大新聞El Merucrioは、我々の日チリ共同掘削を取
材に来た。是非、ドリルシステムの写真を撮影したいという。当然、出発前にドリル
システムのチェックが必要である。
良い機会とばかりにマガジャネス大学の校庭で開
梱する。ウィンチを取り出し、モーターを取り出し、そしてドリル本体・・・。スト
ーブ用の煙突とパッキング材とで厳重にくるんだ梱包を開くと、なんとドリル本体の
上部が一部へこんでいるではないか!輸送中に衝撃があったものと思われ、直径3cm、
7mm程の深さの凹みが出来ている。この凹みのおかげで、内部のバレルが圧迫され、
回転すらしない。なんたる失策。もっと完全な梱包をするべきであった。一瞬目の前
が真っ暗になるが、くよくよしても仕方がない。ジーノに相談し、板金屋さんに連れ
ていってもらう。一軒目はつれない返事。ワンピースでできた肉厚のパイプの凹みを
直すのである。パイプに手が入らないから、トンカチで叩き出すわけにもいかない。
暗い気持ちで2軒目に向かう。しばらく試案した後、なんとかしてみようという頼も
しい返事をもらった。二日して不安な気持ちで板金屋さんを再訪する。自信ありげに
でてきた工員さんは、ドリル本体を私にみせ、ニヤリと笑った。きれいに治っている!
でもどうやって?彼はドリルの内径ぴったりの円盤を鉄から削りだし、それをドリル
本体の内部に挿入し、ゆっくりと凹んだ部分を通過させ、凹みを押し出したのだ。ア
イデアに脱帽するとともに感謝の気持ちでいっぱいになった。あとはティンダル氷河
に向かうだけである。
明けて11月2日。いよいよティンダル氷河の消耗域へ出発する。氷河近くのBCま
では徒歩で1日の距離である。
1週間分の食料と調査機材は4頭の馬が運ぶ。ジーノを
先頭に、パタゴニアの氷河地形の新鮮さに感心したり、最終氷期以降の氷河変動の規
模の大きさに驚いたり、楽しいトレッキングである。
11月3日、いよいよティンダル氷河消耗域で氷河生物とアルベド測定の調査が始ま
った。まずはティンダル氷河の概要を知るべく、氷河を横断する。ほとんど岩屑をの
せない氷河は驚くほど白く、そして青い。アイゼンを効かせ、氷河の上を気持ちよく
歩く。
幸島リーダーは、水たまりがあるとじっくり覗き込み、昆虫を探している。
「いたいた!」という声に近づくと、氷河上の水たまりの中を黒い幼虫がモゾモゾ泳
いでいる。その横で、竹内君は、名大大気水圏研から借りてきたというスペクトルメ
ーターで氷河表面の反射率を測定している。水たまりがあると止まり、虫を探すとい
う行進であるためなかなか先に進まない。それにしても氷河がデカイ。進んでも進ん
でも中央部にある中央堆石に到着しないのだ。いいかげん歩いてようやく中央堆石が
見えてきた。初日の成果としては充分。強くなった風のなか、BCへ戻る。
翌日から8日間、ティンダル氷河の消耗域を歩き回る。氷河は巨大で、いけどもい
けども尽きない。なんと幅だけで7kmもあるのだ。ある日、それまで涵養域を覆って
いた雲が晴れ渡り、遥か彼方に真っ白な3つの岩峰が望見できた。本来なら雪などま
とわない程急峻な針峰であるが、完全に白い。「もしかして、掘削地点はあの辺じゃ
ないか?」と誰かがつぶやいた。『あんな所までいくのか?!』。我々の不安と期待
をよそに、この「三本槍」と名付けられた岩峰は再び雲の中へ没した。結局、標高
700mから平衡線近くの標高900mまでの生物・アルベド調査を実施し、11月10日、
ティンダル氷河消耗域を後にした。
チリ側メンバーが来ないことには生鮮食料さえままならない。こういう時は現場調
達である。
避難小屋から徒歩2分のところにはトロ湖という巨大な湖があり、なにか
魚がいるだろう。愛用のルアー竿をかかえて幸島リーダーと食料調達にでかける。す
ぐにブルルンと手応えがあり、上がってきたのは45cmほどのブラウントラウトであ
った。夜はムニエルでパタゴニアに乾杯。この美味しいマスは、今後の長いヘリ待ち
の間、我々の貴重なたんぱく源となった。
チリ側メンバーの一人、ホルヘ・キンテーロ氏がパイネに着いたのはようやく11月 18日であった。トラックには食料が積まれているが、物資は見あたらない。物資が着 くのは19日らしい。なんとものんびりしている。食料の中にオレンジやらリンゴやら 新鮮な食料を発見し、さっそくかじりつく。
ホルヘ・キンテーロ氏は、ジーノの山の先生であり、知る人ぞ知るチリの伝説的な
登山家である。現在67歳。なんと60歳の時にはチリのエクスペディションでエベレ
ストのサウスコルまで登ったらしい。そしてなによりも驚いたのは、かのティルマン
がパタゴニア南氷原を横断した際のパートナーだったのだ。チリ側が今回の掘削に対
して最強のメンバーを送ってきたのがよくわかる。
荷物が着けば、準備は始められる。19日から来るべきヘリフライトを想定して着々 と梱包作業と仕分けを進めた。しかし、天候は相変わらずで、パイネの山々は時折晴 れるものの、氷床は常に雲の中。上空の雲はカルマン渦を作り、パイネの山々が煙を 吐くがごとく東に流れている。我々の日課は、荷造り・釣り・乗馬・酒の日々である。 次第に『氷床に行けるのだろうか?』という不安が頭をよぎるようになってきた。ど うせ釣りや乗馬を楽しむなら、掘削成功後にしたい。
11月22日、高曇りではあるが、避難小屋から初めて「三本槍」が見えた。風もな い。「すわっ、飛べる!」とばかりに幸島リーダーがプンタアレナスで待機するジー ノに電話を入れる。ジーノはすぐに空軍にフライトを要請するが、待ちわびる我々に 戻ってきた空軍の返事は現場の志気を一気に萎えさせた。「・・もうすぐ天気が悪く なるから飛びたくない・・・・」。業を煮やした幸島リーダーは、23日、空軍の尻を 叩くべく、プンタアレナスに一人戻っていった。
10:30、南の風が吹き始め、パタゴニア氷床に低くたれこめていた雲が、みるみる うちに晴れていく。プンタアレナスで待機する幸島リーダーに電話ですぐに準備を整 え、空港に向かうように要請する。こちらも慌てて準備を始めるが、長い待機生活に 慣れきってしまった久保田は、「どうせまた無理だろう」と言わんばかりで、動きが 鈍い。11:00、氷床は掘削地点の三本槍を除き、すっかり晴れわたった。掘削地点付 近にはしつこい層雲が残っていたが、12:00には全ての雲が消え去った。巨大な南氷 原が驚くほどの白さで我々の前に全貌をあらわした。プンタアレナスにGoサインを伝 える。ヘリ待ちを開始してから15日目にしてようやく訪れたチャンスであった。
プンタアレナスから我々のいるパイネ国立公園までヘリで1.5時間。メンバーを乗 せた中型ヘリUH-1がパイネに着いたのが16:00であった。ロシアの大型ヘリMi-8を 見慣れた目には、UH-1はいかにも小さい。2トンの荷物とメンバー6名を掘削キャン プに運ぶには最低4往復が必要である。これから始めて日没までに終わるか?不安が あるが、天候は待ってくれない。18:00、私とホルヘが第一便でキャンプへ飛ぶ。上 空から見るパタゴニアの氷河も格別である。グレイ氷河やピンゴ氷河といった南氷原 から流出する氷流が氷河湖にカービングする様は圧巻だ。巨大なティンダル氷河に沿 って25kmほど遡ると、三本槍の岩峰がみるみる近づいてくる。掘削キャンプはティ ンダル氷河の最高点、反対側は太平洋へつながるフィヨルド帯へと落ち込む分水嶺で ある。ホルヘと2人で氷原にポツンと降ろされる。2人では物資の運搬もできず、2便 目が来るまで付近の偵察を行う。1時間後に2便目到着。氷河調査初体験の久保田が緊 張した面もちでヘリから降りてくる。と、パイロットがホルヘをヘリに呼び、何か耳 打ちしている。もちろん爆音のため何も聞こえない。飛び立ったヘリを見送りながら、 ホルヘがぽつりと呟いた。「今日のフライトはこれで終わり・・・」。『ええっ』と 唖然。とりたてて天気が悪いとは思えないが、風が少々でてきたことと、雲がキャン プの上を飛来し始めたからか。半日でも天気が持ったのが奇跡なくらいだ。ぼやぼや しても始まらないので、テント2張りを立て、デポを積み上げる。私の仕事はすぐに 無線を立ち上げることだが、なんやかやで深夜までかかって設営が終了し、最初の交 信は明朝となる。明日は残りの物資とメンバーを受け入れねばならない。何はともあ れ、目的地に着いたことに乾杯した。
幸い、本当に幸いに11月29日は快晴で明けた。
若干の地吹雪があるが、風は弱い。
8時に幸島リーダーに掘削キャンプの天候を伝え、ヘリを再度プンタアレナスが呼び
寄せる。結局、2便で物資と人員3名が新たに掘削キャンプに到着し、いよいよ我々
の掘削オペレーションは始まった(写真)。チリ側のメンバーは、日程の遅れから、
当初予定していたジーノとアンドレが参加できなくなり、マリアアンヘリカ・ゴド
イ女史(地球化学・解析担当)とマルセロ・アレバロ氏(設営担当)の2名が新たに
入ってきた。ジーノとアンドレの不参加により当初予定していた氷厚探査がなくなっ
たため、スノーモービルは荷揚げされなかった。これは結末を考えると、まさに幸運
以外の何物でもなかった。
テント設営に引き続き、すぐにトレンチ掘削にとりかかる。今回は悪天を予想し、
掘削作業は全て地下4mの深度に床面をもつ雪中トレンチの中で行うことになってい
る。
このため、この種の掘削では例外的に巨大なトレンチを掘らねばならない。幸い
雪質はしまり雪でたいへん掘りやすい。67歳のホルヘに負けじとトレンチを掘り進む
が、年齢を感じさせないホルヘの持久力に感嘆する。
30日も快晴で明けた。雪面は昨日からの好天でサンクラストが形成され、朝日に
輝く。2日続きの快晴でトレンチ作業はどんどん進み、天気が崩れだした夕刻にはト
レンチ内で作業ができるまでになった。
夜はものすごい風が吹き始め、キッチンテ
ントがつぶれそうになる。ホルヘの機転で、テーブルを衝立にして、なんとかドー
ム型のテントが潰れるのを防いだ。
12月1日から2日にかけて、激しいブリザードが始まった。このブリザードは温度 が高く、みぞれ混じりである。トレンチの入口にドリフトよけのフードを作成するが、 外で作業するとびしょ濡れになる。2日間続いたブリザードのおかげで、就寝用のテン トが全て埋没し、3日は終日テントの移設に携わる。
4日から5日にかけて、それまでもっぱら西から吹いていた風が南風に変わり、気温
も下がってやや好天になる。
4日はトレンチ内でドリルシステムを組み上げ、20時35
分、雪鎮祭を執り行い、いよいよ掘削開始となる。最初の掘削は緊張した。ドリルが
垂直になるよう支えながらコントロールボックスの電流値を睨む。ドリルの先端が順
調に雪面に沈んでいく。60cm掘ってドリルを上げ、コアを取り出すと美しいフィル
ンコアが顔を出した。まずは一安心。引き続き5日は終日コアを堀り18mまで進むこ
とができた。コアは予想に反して濡れておらず、ところどころわずかに氷板を含むた
いへん均一なフィルンコアである。![]()
6日、2日間続いた穏やかな天気も終わり、またブリザードがやってきた。そして掘 削開始と同時に、トラブルが生じた。18.43mまで進んだところで、突然アンチトルク が滑り出し、ドリルが掘り進まなくなったのだ。おそらく雪質が変わって刃先の抵抗 が大きくなったためだろうと判断し、刃の出具合を変えるが、一向に掘り進まない。 ついで、アンチトルクの強度を強くするがダメ。手を変え品を変え試みるが、結局終 日この地点で足踏みしてしまった。夜、掘り進まない原因を考えていると自然と無口 になる。これを見て私が落ち込んでいると思ったのか、皆が慰めてくれる。本人はそ んな気持ちは更々なく、極めて楽観的であった。
7日は南極で言うところのA級ブリザードとなった。とはいえ、「外出禁止令」を 出せるほど日程に余裕がないので、ライフロープを頼りに苦労してトレンチに向かう。 問題の18.43mは、昨日の試行錯誤が裏目にでて、アンチトルクの周りの雪が削れて しまったようだ。どうあがいても無理だったので、掘削孔に雪を投げ込み、紐につる した金属の錘で圧密して、再度堀り直すことにした。これがまた雪を入れすぎ、10m 深まで戻ってしまった。苦労して投げ込んだ雪を再掘削する。問題の18.43m付近は 接地圧を小さくし、ドリルの回転もおさえて慎重に掘る。今度はうまくいったようだ。 夕方まで掘って35.7mに達する。
8日、再びテントが全て埋まる。
白岩・マルセロ組で掘削を続行する一方、その他
のメンバーでブリザードの中、テントの移設を行う。掘削のほうは、37mからコアが
濡れだし、1回に掘削できるコア長が極端に短くなってしまった。チップの上昇がうま
くいかないためと判断し、色々策を練るが決定打がなく41mまで掘って終了。
9日は当初の予定では下山予定日である。本来なら昨日撤収を終えていなければな らないはずであるが、あまりの悪天に撤収ができないのと、どうせ下山できないだろ うという雰囲気で掘削を続行することにする。久保田のテントは昨夜の強風で破損し、 宿なしになる。掘削のほうは相変わらず濡れたコアのチップ処理に問題があり、遅々 として進まない。結局、掘削孔の入口から42.7m、積雪表面から47m深で掘削を取り 止める。当初の目的である100mには遠く及ばないが、時間切れでは仕方ない。
夜、キッチンテントで掘削の終了を祝って乾杯する。
たった47mとはいえ、パタ
ゴニア氷原における最深記録である。仕事が無事終わったうれしさに酒も進む。ひ
としきり歓談した後、就寝テントが潰されキッチンテントに寝場所が移った久保田
を残し、皆で就寝テントに戻る。おりからのブリザードで、前が良く見えない。ラ
イフロープを伝ってテントがあるとおぼしき場所まで行くが、テントらしきものは
見えず。同宿の幸島リーダーに声をかけ2人で探索するが、全く見つからない。『
おかしいぞ?』と思ったのと、身体がストンと落ちたのはほぼ同時であった。なん
と雪に埋もれたテントの真上を歩いてテント上に落下したのだ。食事前には確かに
雪面上にあったテントが、2時間程度の夕食の間に完全に雪に埋もれてしまってい
たのだ。破壊してしまったテントから慌てて個人装備を取り出す。ぐずぐずしてい
ると、地吹雪で全てが埋まってしまう。1時間ほど真っ暗闇で格闘し、敗残兵よろ
しくキッチンテントに逃げ込む。そこには既に就寝場所を整理して寝る直前の久保
田が、雪まみれの2人の避難民を冷たく見つめる目があった。
避難所の第一日目はこうして明けた。幸い、何事にも機転のきくマルセロ氏が、 壊れたいくつかのテントから使える部分だけを取り出し、1張りなんとか寝ること のできるテントが完成し、避難民3人は定宿を確保することができた。
次ぎの仕事は就寝テント同様、埋没しかけたキッチンテントを掘り出し、移設
することだ。
これまで、キッチンテントは食事はもちろん、濡れた衣類を乾かし
たり食糧庫として大活躍してきたのだ。とは行っても直径6m,高さ2.5mのドー
ムテントを掘り起こすのは容易ではない。全員作業で半日にわたって周囲を堀り
込んだ。基底部まで露出した後は移設である。幸い風はここ数日の中では比較的
弱い。6人でテントの周囲を持ち、じわじわと平らな雪面を求めて移動する。弱
いと思っていた風も、巨大なテントに及ぼす風圧はすさまじく、風上からテント
を支えていた私はあまりの力で引きずられ恐怖を感じた。必死になってペグを打
ち込むが、次第に強くなる風にドームテントはひしゃげている。その時、「ボキ
ッ!」という大音響と共に、ドームテントの風上側がおおきくつぶれた。テント
の支柱が折れたのだ。まずいと思うが、手を離すわけにもいかず風に飛ばされな
いようにテントを支えるのが精いっぱいである。とりあえず、風下側にいた手を
離せる人間が、テントから急いで支柱を抜いてテントをつぶす。風上側の支柱が
折れた部分は、テントの生地が大きく裂け、みるも無惨な姿となった。
ショックは大きかった。特に設営責任者のホルヘは憔悴しきったような表情を していた。我々に残された居住空間は就寝テント3張り。しかし、ボヤボヤして いるヒマはない。キッチンテントに保管されていた大量の食糧や装備をトレンチ に輸送しなければならない。重い足を引きずりながらトレンチ内に食糧を運ぶ。 12月10日はこうして終わった。
ブリザードは執拗に続いた。テント堀りが毎日の最大の仕事になった。特に12 月16日は、夜半から吹き始めた雪混じりの強風が、我々に残された3つのテント をじわじわと埋め始めた。夜中に不安を感じ、交代で除雪を始める。湿雪のブリ ザードの中、びしょびしょになって雪を除けるが、1時間もするとテントが頭ま で埋まってしまう。自分の番が終わり、シュラフに入って震えるうちにすぐに次 ぎの順番がまわってくる。夜半になるとブリザードは激しくなり、30分交代の除 雪となる。朝が明けると皆ヘトヘトになる。もう掘り進むより埋まる速度が速く なり降参する。
頭まで埋まったテントは、風の音も静かで意外と快適だ。しかし、徐々に圧迫 されつぶれるテントに居るのは精神的にはよろしくない。おまけにひとりひとり が占めるスペースは限られ、足ものばせなくなる。昼になって、あまりの狭さに 嫌気が指し、幸島リーダーと相談し、白岩がまずトレンチに移住することになる。 とは言っても、埋もれたテントから這い出し、これまた埋もれたトレンチを再度 堀直して引越する作業は骨が折れる。2時間ほどかかってようやくトレンチに引 っ越す。トレンチ内は広く静かで別天地である。ひとりで鼻歌を謳いながらお茶 をわかしていると、トレンチの入口から大量の雪が雪崩落ちてきた。リュックサ ックやらマットレスやら荷物が大量にすべり落ちてくる。最後に幸島リーダーと 久保田が入ってきた。テントはと聞くと、埋もれ放題とのこと。除雪してもまっ たくらちがあかず、脱出してきたらしい。音のないトレンチ内で、3人は疲れて 熟睡した。
ブリザードは17日も続いた。午前中、遂にチリ側3人のテント(2張り)も埋 没し、彼らはテントを放棄した。焦燥し切った3人がトレンチに逃げ込んできて、 広かったトレンチも一挙に狭くなった。しかし、テントを全て失ったという悲壮 感はなく、全員が一箇所に揃った安心感を私は感じた。しかし、雪洞生活に強い 抵抗を示したホルヘの落胆は大きく、設営責任者としての重圧もあったのだろう、 すっかり肩を落としている様は哀れであった。
20日、天候は相変わらずであったが、吉報が無線で送られてきた。それは、 チリとアルゼンチンの共同調査で出かけていたジーノとアンドレがパイネに下山 したのだ。彼らは、我々が下山するまでは下から支援すると言ってくれた。14日 に下から支援してくれた竹内望君が帰国の途について以来、直接サポートする仲 間を失っていた我々は本当にうれしかった。
しかし、彼らの支援とは全く関係なく、天気は執拗なほどに悪かった。雪洞は 毎日の降雪でどんどん埋まり、当初4m上方だった入口は、今や8m以上も上にあ った。深くなるにつれ、暗くなる雪洞はそれだけ皆を不安にした。そして、もう ひとつの不安が、特にチリ側メンバーを襲った。それは、来る24日のクリスマス である。不信心な私には理解できないが、クリスマスはカトリックである彼らに とって、極めて重要な年中行事なのである。このため、掘削の当初から、冗談で クリスマスまでかかるかも知れないと言っていたことが、今や現実となりつつあ るのである。これはチリ側メンバーにとって本当に深刻な事実であった。
それは、下界で我々を支援するジーノやアンドレにとっても同様であったよう で、22日、遂にジーノとアンドレは最終手段を我々に伝えてきた。すなわち、救 援隊の出動である。厳密には、23日の天候によって、次の3つの選択肢があると の通達であった。1)ヘリによるピックアップ(天候が良い場合)、2)スノモービ ルによる救出(ヘリが飛べない場合)、3)飛行機による援助物資の投下(ヘリも スノーモービルも使えない場合)。我々はもちろん(1)を望んだが、これまでの 悪天を考えると、それは叶わぬ夢であった。そして、(2)の場合、スノーモービ ルの救援隊がティンダル氷河上で孤立してしまうことを恐れた。我々の側ででき る事としては、時間を節約するためにも、スノーモービルによる救援を期待しな がらも、天候が許せば、我々独自で徒歩で下山を開始することにした。我々は我 々で、食料が残り2週間となった今、自力下山を決断する必要があったのだ。
今思えば12月23日はクリスマスのプレゼントとしか思えないが、朝、雪洞か ら苦労して外に出ると、連日続いていた地吹雪が止み、風は相変わらず強いも のの、50mほどの視界があった。あわてて皆をたたき起こす。無線をつけると、 既にジーノら一行は空軍のヘリコプターで我々の上空に向かっていることがわ かった。急いで、黄色のテントを雪面に広げたり、マーカーでヘリポートを描 く。しかし、視界50mでは当然ヘリは降りられず、救援隊は一端引き返したと の報を受けた。次なる試みは、ヘリコプターで、視界が得られるティンダル氷 河中流までスノーモービルを輸送し、ジーノとアンドレの二人が、携帯型GPS で我々のキャンプ地まで到達するつもりらしい。彼らの助言により、ひとまず 我々の自力下山は止め、彼らが無事キャンプ地に到着するのを祈ることになっ た。ヘリコプターとスノーモービルとの無線交信が切れ切れに我々の無線機に も伝わってくる。こちらができることと言えば、彼らがキャンプに近づいたと き、少しでもキャンプを発見しやすいようにキャンプ周辺にライフロープを展 開し、視界50mという、携帯型GPSの精度と均衡した悪条件下でも、我々のキ ャンプを発見できるようにすることだけだ。
ジーノとアンドレからは、刻々とキャンプに近づいている様子が無線で伝わ
ってくる。我々は居ても立ってもいられず、彼らの進行方向に直角になるよう
に、定間隔で雪面に立ち、視界不良の中で彼らとのランデブーを待ちわびた。
私はキャンプから南西60m程のところに立っていた。辛うじて掘削キャンプが
見える距離である。下流の白一面の空間をじっとにらんでいたその時、突然、
エンジンの爆音が耳に入ったのと彼らの姿が見えたのは同じであった。目の前
にスノーモービルに乗ったアンドレ、後方のソリに乗ったジーノがザイルで結
ばれた姿で現れた。ソリから飛び降りてきたジーノと走り寄って抱き合う。
彼
らは、20kmという距離を、視界もない中、GPSだけを頼りにクレバス帯を越
えながら我々を迎えにきてくれたのだ。なんと頼もしい連中だろう。
喜びも束の間、スノーモービルで救援されるということは、我々の資材、と りわけ苦労して掘削したコアの大部分を持っては降りられないことを意味して いた。苦労して開発した「どこでもドリル」一式を置いていくのはつらかった。 それでも何とかコアだけはということで、コアの縦割り1/4をその他の最低限 の食料・装備と共にソリに積み込み、長く苦しかったキャンプを後にした。
スノモービルはアンドレの巧みな運転で猛スピードで氷河を下る。
我々はス
ノーモービルに連結した4台のソリに物資と一緒にまたがる。氷河上の凹凸で
激しくソリが揺れ、その度にソリから振り落とされる。すぐに大声を上げ、
スノーモービルを止めないと、視界の悪い氷河のこと、置いてけぼりをくらっ
てしまう。また、クレバス帯も緊張する。振り落とされてソリに追いつく間、
足元がぱっかり空いたら終わりである。それでも、下山するに従い明るくな
る空に心は軽い。そして標高1200m付近に近づいた時、我々は太陽を見た。
それは12月5日に見て以来、実に18日ぶりの太陽であった。
標高1100m地点、おそらくは平衡線付近と思われる地点で我々はヘリコプ
ターを待った。天気はどんどん悪くなり、もしかしたらここで一晩かと不安に
なる頃、ヘリコプターはやってきた。![]()
1回ではとても全員と物資を運び切れな い。この悪天では2回目のフライトはできないとパイロットから通告され、こ こでも人間とサンプルを除き、スノーモービルを含めた全ての物資を放棄する ことになった。そして、何もすることの無くなった我々は、機上の人となって、 30分のフライトの末、草の香りが懐かしいパイネ国立公園の事務所に舞い戻 った。
パタゴニアの自然は途方もなく大きく、そして厳しい。我々が持ち帰ったコ アから、今回の目的である質量収支の見積もりが可能になるかもしれない。し かし、たとえ良い結果が出たとしても、それは点の情報であり、パタゴニアの 氷河の変動を議論するためには更に多くの野外データが必要なのは言うまでも ない。もっと多点の涵養域でデータを収集する必要があろうし、それなしには パタゴニアの氷河の質量収支の見積もりは不完全なままであろう。我々の今回 の苦い経験も、続くフィールド調査のためには良い教訓となることを願ってい る。
今回の掘削は私にはたいへん良い経験であったと思っている。常に冷静沈着
であり、かつサイエンスに対する情熱を失わない幸島リーダーには多くのこと
を勉強させてもらった。救援されるソリの上から、積雪サンプリングを試みる
幸島リーダーに真の野外研究者の姿を見た。そして、チリ側のメンバー、とり
わけ、救援にあたってくれたジーノ・カサッサ氏とアンドレス・リベラ氏の両
名には本当に感謝している。救援された夜、緊張が解けたジーノが見せた涙は、
彼らの救援オペレーションがいかに困難であったか、如実に語っていた。そし
て、今回の掘削オペレーションにあたって総合指揮をとっていただいた安仁屋
政武先生(筑波大学)と成瀬廉二先生(低温研)には多大なご心配をおかけし
ましたことをお詫びすると同時に、遠征全般にわたってご援助いただいたこと
を感謝いたします。最後になったが、本掘削に関わる経費は文部省科学研究費
基盤研究(A)(2)(課題番号 国10041105:代表 安仁屋政武)から支出された。
記してお礼申し上げます。