近年、いかに研究者が社会と疎通しながら研究を進めるかが課題になっているなか、映像の制作と活用への関心が高まっています。研究者とアーティストが協同し、映像を制作するケースも少なくありません。
そこで私たちは次のような疑問をもちました。そもそも映像をつくることは、ある事象に関する省察をする上でどのような意義があるのでしょうか。また、研究者とアーティストという異なるまなざしを持つものたちが一緒に議論することで見えてくるものは何でしょうか。
研究会では、「弔いとは何か」というテーマを設定し、このテーマについて省察する上で映像の協同制作・活用の意義について考えます。
- 日 時
- 2019年9月16日(月)14:00 - 18:30
17日(火)10:00 - 18:30
18日(水)10:00 - 15:00 - 場 所
- 松本屋(岐阜県揖斐郡揖斐町谷汲特積290) (⇒ アクセス)
- 主 催
- 平成31年度博物館・展示を活用した最先端研究の可視化・高度化事業
- 参 加
- 要申込 ※詳細は下記までお問い合わせください。
- 問合先
- 研究基盤国際センター 金 セッピョル
- 変化する弔い、異なる立場から見えてくるもの 14:00 - 16:00
- 葬儀を撮ることとは何か 16:20 - 18:30
- 名前のある骨・名前のない骨:個人の歴史と社会の歴史 10:00 - 12:00
- 土の下の世界/非論理性 14:00 - 16:00
- 総合ディスカッション 16:30 - 18:30
++プログラム++
9月16日(月)14:00 - 18:30
この研究会は、金セッピョルと地主麻衣子が映像の制作・活用において議論を重ね、また一緒に上映するといった経験から始まりました。金は『We Don’t Need a Grave』という作品でお墓を作らず自然葬を行う人々について収め、地主は東京・上野の谷中霊園でお墓が壊されていく様子を淡々と捉えました。変化する弔いについて、研究者とアーティストという異なる立場から議論することで見えてきたいくつかの論点を整理し、話題を提供します。
【上映作品】
金セッピョル(総合地球環境学研究所)2014『We Don’t Need a Grave』27分
地主麻衣子(作家)2018『わたしたちは(死んだら)どこへ行くのか/第1章 東京の墓地』20分弱(編集中)
・コーヒーブレイク
【ディスカッション】
金セッピョル、地主麻衣子、土居造(ものつくり大学)
・コーヒーブレイク
葬儀を撮影するという行為は、当事者たちの人生における大事な瞬間を損なってしまうことにもなり得る暴力性を孕んでいます。撮影に到るまでの被写体との関係性の築き方は様々で、そのコミュニケーションのプロセスに研究者やアーティストの特性が表れてくるともいえます。このような繊細な問題を超えて、それでも葬儀を撮影することの意義や活用について考えます。つまり、研究において資料以上の価値を見いだせるか、活用方法は何か、この映像をつくることで浮かび上がった弔いの側面とは何かについて議論できればと思います。
【上映作品】
国立歴史民俗博物館 民俗研究映像『地域社会の変容と葬祭業-長野県飯田下伊那地方-』(山田慎也)45分
エンサイクロペディア・シネマグラフィカ(EC)フィルム『首長の妻の埋葬』4分、『女の樹上葬』4分、『貴族とその親族二人の女の葬式』12分30秒
・コーヒーブレイク
【ディスカッション】
山田慎也(国立歴史民俗博物館)、ハイン・マレー(総合地球環境学研究所)
9月17日(火)10:00 - 18:30
鄭梨愛(作家)『ある所のある時におけるある一人の話と語り聞かせー。』20分、『沈睛歌』6分
地主麻衣子『わたしたちは(死んだら)どこへ行くのか/第5章 名前のない骨』36分程度(編集中)
・コーヒーブレイク
【ディスカッション】
鄭梨愛、地主麻衣子、瓜生大輔(東京大学)
・コーヒーブレイク
弔いをすべて言葉で解釈することはできません。非論理的な側面を映像でいかに捉えるか、またその意義は何かについて議論します。
【上映作品】
二藤建人(作家)『存在ー不在の反転について(ポンペイ遺跡の空洞及び自作を参照しながら)』(作品上映とプレゼンテーション、20分)
ECフィルム『墓穴掘り』(10分)
・コーヒーブレイク
【ディスカッション】
二藤建人、川瀬慈(国立民族学博物館)
・コーヒーブレイク