粛南ユーゴ族自治県明花区(黒河中流域)予備調査

マイリーサ(総合地球環境学研究所)

目次

1.はじめに
2.移民の移出地
3.移住地

1.はじめに
 最近作られた中国甘粛省の地図には、「黒河流域生態保護地域」という表記が加わっている。そこは河西回廊の中部ゴビ砂漠地域に位置し、粛南裕固(ユゴール)族自治県の一部(明花区)でもある。この地域にはユゴール族、漢民族、チベット族、回民族が生活しているが、ユゴール族が人口の89%を占めている。  
この数十年間、特に近年、この地域の生態環境の情況はますます厳しくなり、それが牧草地の悪化をもたらした。これはそこに住む人々の生存の環境まで悪化させてきたばかりではなく、河西回廊の気候の調整や黒河流域地域の持続的な発展にも影響を及ぼしている。そうした背景により同県では地域の環境保全のために、人口分布の調整及び生業転換の政策を実施してきたが、それにより生態移民が生まれてきた。このような生態移民が生じた過程と現在の状況ついて、私は2002年8月に現地に出かけ、予備調査を行ってきた。

2.移民の移出地――明花区蓮花郷
 明花区蓮花郷に生活する人々は昔から放牧業を中心に生業を立て、自然を頼りに生活してきた。新中国建国以前、ここには40余世帯の牧民が生活し、約一万匹(?)の家畜を放牧していた。現地の年配者の話によると、昔の蓮花草原は人口が少なく、牧草地がよかったほか、湖も大きく、野生動物や植物が豊かだった。それに、地下の水資源も豊富で、一メートルほど掘れば水が出ていたという。  
1950年代以降、蓮花郷は人口が200世帯まで急増し、家畜も増え、ラクダと馬が300頭(請け負い政策実行以降は全部処分された)、牛と羊が約2万頭(匹)にもなった。それに、旱魃が長年続いたため、現在、蓮花郷における利用可能な牧草地の面積は、1950年代に比べ半分減っているという。
こうした自然環境の悪化の要因について、現地の人々は次のように考えている。
まず、上流地域の農業地域において大規模な農地開発が行われ、深い井戸を多く掘ったことにより地下水の水位が下がり、湖も枯れ始めた。
それに、周辺の農村地帯の使用面積が牧畜区にまで広がってきたために、牧民の生存の空間が圧迫されてきた。
また、「文化大革命」時代は農村地域の画一のやり方でここに「牧民新村」を作り、牧民たちの住居をそこに集中させ、「半農半牧」の生産様式に切り替えた。その際、牧草地と家畜との調和的な関係が無視されていたため、「新村」周辺の牧草地が悪化しはじめたが、その後、「新村」への移住が失敗し、牧民たちのほとんどがもとの場所にもどっていた。そこに残ったのは、そこの住居を子供の教育のためにしばらく利用せざるをえなかった牧民たちばかりだった。
 同県では、一九九七年から草原の負荷を減らすと同時に、牧民の「脱貧」の問題を解決する目的で、一部分の牧民を蓮花草原から明海農業総合開発区に移住させ、農地開発をさせるという政策を取ってきたが、現在はすでに約100世帯の移住が実行されているが、移住者のほとんどが20代から40代にわたる若い世代や中年の人々である。したがって、移住していないのは、年寄りや家族に病人や障害者を抱える世帯及び男の子をもたいない世帯ばかりである。男の子をもつ世帯が積極的に移住した理由については、将来の子供の結婚に向けて住居を確保するためとも考えられる。
このように、現在この地域が直面しているのは高齢化の問題であり、また、移住に伴い、地域の公共施設や公務機関が農業総合開発区に移ったために、牧民たちがコミュニティーの中心地を失ったことである。そのために、現在牧民たちは下河清という隣接する農業県が開いている市場でしか互いに会えなくなっている。
しかし、蓮花郷の自然環境でしか生産できない山羊は肉の安全性と味が評価され、入荷に間に合わないほど売れ行きがよいので、このような地域の独自性を生かせば、付加価値(食の安全性や栄養など)を生み出すことができる。というのは、現在、中国の都会部では生活が豊かになるにつれて、大自然の中で育った家畜による安全で良質の肉食が求められているようになっているからである。こうした都会との互恵的、共生的な有機的な関係が継続できれば、地域に新たな可能性をもたらすであろう。しかし、ここでは行政側によって、近い将来、「天然放牧方式」が徐々に「半舎飼」、あるいは「舎飼」に切り替えられることが計画されている。その狙いは、大量生産、大量出荷することにより、地域の牧民の収入を増加させることにあるというが、そんなことをすれば、牧民たちがすべて画一の大量生産の競争に巻き込まれ、蓮花草原がもつヤギ生産における優位な自然状況も意味を失うことになる。これによってもう一つ失われることは、長年にわたり蓄積されてきた自然と生業を調和する生活の知恵であり、こうした生活の知恵は実際経済的な合理性を多く含んでいる。それに、大量生産のシステムの導入は牧民たちにそれなりの借金を負わせるばかりでなく、伝統的な自給自足のシステムを崩壊させることになる。

3.移住地――明花区明海郷
明海郷は、約50キロにわたる砂漠地帯を隔てて蓮花郷に隣接し、その面積は
蓮花郷の面積より倍くらい広い。交通の便も蓮花郷に比べて恵まれている。この地域も昔から遊牧を中心に生計を立てていたが、1970年代から「上農業区」という開発区を作り、地元の半数の牧民に農地開発をさせてきた。しかし、地下水位の下降により開発当時掘った井戸はほとんど枯れている。
 また、地理的に高台、九泉という二つの大きい農業県に囲まれているため、牧草地の悪化の状況は蓮花郷より厳しい。1990年代、東南に位置する農業県が「許三湾土地開発区」を作り、大規模な農地開発を行った。これも、驚くほどのスピードで明海郷へ広がった。
 明海郷も県境で農業総合開発区を作り、そこに移民を移住させ、人間の壁を作ることによって、隣接する県からの外来開発を止めようとした狙いがあった。
蓮花郷からの移民村を「双海村」と命名し、「蓮花方田」を開拓した。
移民村を作る際に政府の投資で、水、電気、井戸、道路、学校、病院などの基本的な設備や施設が整備され、移民各世帯に一万元の住居建築補助金が与えられた(一世帯あたりの新築費は約2万元)。移民たちは草原を離れた時に家畜を売った金と政府からの補助金と借金により住居を建て、農地を開拓しなければならないが、現在、移民たちはすでに新築に入居し、農業生産を始めている。彼らの現在の状況について、蓮花郷からの移民に聞く機会があったが、移住の理由としては、子供が学校に行くのに便利で、また、前に住んでいたところがあまりにも辺鄙であったこと以外に、新居地ではいろいろな優遇政策があったからということを挙げているが、実際は、彼ら移民たちの生活は安定せず、たいへん厳しい状況にある。
それは移民たちが住居の建築と農地開拓のために多くの借金を抱えているからであり、また、農業生産は牧業とは違って、コストがたいへん高いからである。すなわち、電気、肥料、農薬及び設備などの投資により、生産投資と収穫による収入との採算が取れないからである。それにより負債の返済が迫られ、その対応として兼業化や出稼ぎの現象が現れ、移民世帯主の半分以上が出稼ぎに出かけたり、元の牧地にもどって放牧をしたりせざるを得なくなっている。そういう状況により、移民の中には経済的理由により子供が学校にいけなくなっている現象も起きているが、学費を払う金では多くの農薬や肥料が買えるからだ。
しかし、明海郷に移住してきた移民たちは、新居住地での住宅ために多くの借金を抱えているために、蓮花郷に戻ろうと思って戻れなくなっている。そのために、もし将来的に金に余裕ができれば、移住先での農地で牧草を作り、家畜を飼うことを考えている。実際、この地域でも国際銀行の援助により、「圏舎工程」と「子羊育肥工程」が行われている。
 このように、明海郷に移住してきた移民たちは最終的にどこでどのような生産手段を取り、どのように生活していくものなのか、彼ら自身にもよくわからないことのようである。


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